1980年代中頃から90年代中頃まで、『月刊コロコロコミック』で連載されていたギャグマンガ『つるピカハゲ丸』。ハゲしか生まれない家系に生まれた小学生・ハゲ田ハゲ丸の活躍を描いた、ハゲマンガの名作です。



コミックの累計販売部数は400万部以上とも言われる本作の作者・のむらしんぼ氏は大成功を収めていると思いきや、実際にはかなりハードな人生を送っていたようで・・・。

連載中の年収7000万から一転、借金1000万に

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『つるピカハゲ丸』の大ヒットで、多いときは年収7000万円の収入があったというのむらしんぼ氏、当時は様々な誘いがあったそうです。
多い時で年収にして7000万ほどです。バブル期だったから、投資の話もたくさん持ちかけれましたね。

興味がないから手を出さなかったんですが…。もし買っていたら、今ごろ首をくくってました(笑)。

しかし、連載終了後はヒット作に恵まれず、貯金を切り崩しながらアシスタントの給料を払う日々が続いたと語っています。
原稿料がほとんど入らなくて生活費すら足りない状況なのに、仕事場の賃料やアシスタントの給料も払わないといけない状況で。

「ハゲ丸」の時の貯金を切り崩しながら生活していたんですが、それも底をついたんです。

まったくお金が無いし、借金も限度額に達して借りられないときに、息子の高校受験料が必要ということもありました…。

どこからもお金を借りられなくなったときには、成功を収めた元アシスタントから借金をしたことも。
僕の元アシスタントで、独立して売れっ子になってたヤツから借りたんですよ。 そしたら「師匠は特別ですよ。プライドを傷つけるかもしれませんけど…」と言って、頼んだ金額の倍を貸してくれたんです…。

そして膨らんだ借金はなんと1000万円の大台に。今でも返済に追われているそうです。
多い時で1000万円ですね。

だいぶ返済しましたが、今も300万ほど残っています。

連載終了後、妻と離婚



マンガに全てを賭けてきたのむら氏、31、32歳の頃は『コロコロコミック』など、11誌で『ハゲ丸』を連載しており、なんと48時間ぶっ続けて書き続けて意識がなくなったこともあったとか。

そして連載終了から5年、「マンガと心中したい」と常日頃から言っていたのむら氏は、奥さんから離婚を告げられます。
「ハゲ丸」終了から5年くらいして、自宅を引っ越すことになったんですよ。

でも新作の準備で忙しい時期と重なったから、引っ越しの手伝いに行けなくて。

合鍵だけ欲しいとカミさんに頼んだら、「あなたの鍵は無い」と…。

「漫画と心中したいんでしょ?その望みをかなえてあげます」と言って…。

それでものむら氏は、多忙な時期も収入がない時期も家庭を守ってくれた奥さんに感謝の言葉を述べています。
実際、感謝してるんですよ。

「ハゲ丸」連載時は忙しすぎて仕事場にこもりっきりで、めったに自宅に帰れず。

「ハゲ丸」終了後は収入が無くなり…。

そんな状況で、子供を3人も立派に育ててくれたんですから。

仕事と家庭のバランスは、永遠のテーマですよね・・・。

『おぼっちゃまくん』からギャグをパクっていた



『つるピカハゲ丸』以降、ヒット作に恵まれなかったのむら氏。そんな時代には、あの有名マンガ『おぼっちゃまくん』からギャグをパクったこともあったそうです。
「コロコロ」本誌で最後に連載した作品では、「おぼっちゃまくん」のギャグをパクったりも。

バカなアンドロイドが主人公の「あっぱれメガバカBoys」という漫画なんですが。

“茶魔語”の「ともだちんこ」と「こんにちわわ」を合わせて「こんにちんぽ」とか(笑)。

わかりやすすぎるパクリですw

漫画を描けることの幸せに気付いた



紆余曲折を経て、現在もマンガを描き続けているというのむら氏。輝かしい成功からどん底を味わい、今はただマンガを描けることの幸せに気付いたそうです。
昔は「児童漫画家って何の役にも立っていない」と考えていたと、お話しました。

ですが、その児童漫画すらも描けないような“どん底”の失敗経験を味わったことで、あらためて子供向け漫画を描けることの幸せに気付かされたんです。

だから今は「一生一児童漫画家」だと思っていますし、「漫画と心中したい」「漫画さえ描ければいい」という心境で。

どんなことがあっても、生きている限り漫画を書き続けていきたいですね。


なお、のむら氏は現在『コロコロアニキ』にて、コロコロ初期の創刊秘話を描いた『コロコロ創刊伝説』を連載中とのこと。酸いも甘いも味わった男が描く作品、ボクも読んでみます!

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